2021年10月27日
Open Network Lab(以下、Onlab)は「世界に通用するスタートアップの育成」を目的に、Seed Accelerator Programを2010年4月にスタートし、これまでに数々のスタートアップをサポートしてきました。今回はOnlab第20期生、Tippsy, Inc. Founder/CEOの伊藤 元気さんです。伊藤さんは日系貿易商社で10年間、アメリカに出向いて日本酒を含む食品の輸入に携わってきました。2015年にアメリカ西海岸の名門校である南カリフォルニア大学に進学し、MBAのアントレプレナーシップのクラスでロサンゼルスの起業家や投資家の話を聞くうちに、起業に対する思いを膨らませていきます。アメリカ・ロサンゼルスに拠点を置き、eコマースの運営を介して日本酒の認知・普及や、アルコール市場におけるカテゴリーの設立に挑戦する創業者の伊藤さんに、Tippsyを起業した当時のエピソードやOnlabへ参加したきっかけなどをオンラインで伺いました。
< プロフィール >
Tippsy, Inc. Founder/CEO 伊藤 元気
2009年日系食品商社で勤務するため渡米。その後USC(University of Southern California)にてMBA取得。2018年11月、ロサンゼルスにて日本酒eコマーススタートアップTippsy, Incを起業。日本酒のサブスクリプションという新しいサービスを提供。
Contents
― Tippsyのサービスについて教えてください。
Tippsyはアメリカ・ロサンゼルスに拠点を置いた日本酒のeコマースを運営するスタートアップです。2018年11月に設立し、現在はオンラインストアと、日本酒が定期的に自宅に届くメンバーシップモデルの2つを展開しています。公式Webサイトには日本酒に関するコンテンツや、数百とある日本酒の銘柄や商品のストーリーを掲載しています。また、メンバーシップでは300mlのミニボトル6本にそれぞれのペアリングや最適な温度帯、蔵元の特徴を記載したプロダクトカードを付けて、3ヶ月に1回ユーザーに配送しています。そうすることで、アメリカでも日本酒がワインのように認知されて楽しむユーザーが増え、Tippsyが新たなカテゴリーリーダーとして市場を拡大できると考えています。
私は前職の日系貿易商社で10年間、アメリカに滞在しながら食品の輸入に携わる仕事をしてきたので、アメリカでは誰もが一度は日本酒をたしなんだことがあると知っていました。特に、日本食は50年前にアメリカに入ってきた寿司が人気で、スターバックスよりも寿司レストランの店舗数が多いほど。私のアメリカ人の友人も月に一度は寿司を食べているし、ビジネススクールにいた時も、ランチで箸を上手に使ってカリフォルニア・ロールを食べている光景を当たり前のように見てきました。
― アメリカで日本酒はどのように飲まれていますか?
アメリカでは日本酒を「サーキ(Sake)」と発音していて、飲み方もユニークなんです。例えば、レストランでは「Hot Sake」という、電子レンジで温めた日本酒を白いとっくりに入れて出します。お客さんはそれをお猪口で飲むだけでなく、ビールジョッキに落として一気飲みする「Sake Bomb」も楽しんでいます。彼らにとって、日本酒は蒸留酒のように一気飲みして、翌日に二日酔いになるイメージ。いくつもある蔵元の存在や商品、カテゴリーを知らないし「日本酒にブランドってあるの?」と聞いてくるんですよね。
前職にいた時、アメリカで開催されたB向け、C向け両方のテイスティングイベントで日本の地酒を飲んでもらったことがありますが、みんな「これは何だ?うまいじゃないか!」と絶賛していました。実は、アメリカに出回っている日本酒の大半は、日系酒造メーカーがアメリカに工場を建ててカリフォルニア米で作ったもの。それ以来、「なぜこんなに美味しい日本酒がアメリカでは知られていないのか」と疑問に抱くようになり、Tippsyを起業しました。
― 日本酒はレストランで親しまれているのにブランドが認知されていなかったのですね。
アメリカではアルコール市場が巨大でウォッカやジンなどカテゴリーが豊富なので、認知してもらうにはブランドが重要なんです。例えば、ウォッカ自体は基本的には無味無臭なのにたくさんのブランドが存在し、一部のマーケティングや流通に強いブランドはどこにでも置いてある商品として成長していきます。
一方、アメリカにおける日本食や日本酒のマーケットはニッチ。日本酒の製造者や蔵元も、歴史が長いけれど10人体制で営んでいるような小さな企業が多いので、販路を拡大したくても営業活動やマーケティングができない。特に私のいたような日系貿易商社は日本酒のトレードを牛耳っているのですが、今では飽和している寿司レストラン卸市場で安価品を持ち込む中華系、韓国系の流通問屋と価格競争する中で利益を出さなければいけません。彼らにとってアメリカ産の安い日本酒を売っても、また、何百とある日本産の地酒を売ってもマージンは大きく変わらないため、日本酒をカテゴリーとして育てるインセンティブがないのです。その結果、ラベルが読めない現地の方には全部同じように見えてしまい、様々な種類やブランドが存在する日本酒の魅力が伝わらないんです。
― 伊藤さんが起業に至った経緯をお聞かせください。
日系貿易商社にいた時、自分の働き方にフラストレーションを感じていたんです。海外MBAを取ったら転職に役立つかもしれないという気持ちから南カリフォルニア大学(アメリカ西海岸の名門校。以下、USC)に入学しました。入学試験でエッセイを書く時、自分を徹底的に見つめ直したんですよね。なぜMBAを学ぶのか、卒業したら何がしたいのか、今までの人生で何をしてきたのか、何が得意で何が苦手なのか。自己分析をするうちに、日本と世界のブリッジを担う仕事が頭に浮かんだんです。日本人として生まれ、人生の大半を日本で過ごしてきたので、次はアメリカで新たな挑戦がしたい、自分のキャリアを日本のサービス・プロダクトのために使いたい、と。
USCでは、マーケティングやデータ解析、アントレプレナーシップなどの授業を受けてきましたが、VCの方やロサンゼルスで起業した大きなスタートアップの社長がゲストスピーカーとして起業ストーリーを話してくれたことで、0→1ってエキサイティングだなと衝撃を受けました。スタートアップが大企業を相手に未知のビジネスチャンスやカスタマーニーズを見つけて、大企業がついてこられないようなスピードで資金調達をしてマーケットを動かせたら、かっこいいじゃないですか。
そこで、私は得意なことや挑戦したいこと、日系貿易商社で10年間培った経験を洗い出しながら「アメリカで日本酒の認知を変えて世の中にインパクトを起こす」という目標にたどり着きました。USCを卒業後、前職の仕事を続ける傍ら起業準備を始めて、法人登記をしたりEC事業者向けプラットフォームのShopifyでアカウントを作ったりしてTippsyを立ち上げ、1年後にOnlabに入りました。
― 伊藤さんは2020年1月に20期生としてOnlabへご参加になりました。
2019年の秋頃、デジタルガレージの佐々木さんとイベントでお会いして、Onlabについて伺ったんです。当時、Tippsyはまだシード段階にいて日本円で5000万円の資金調達を考えていたところでしたが、デジタルガレージにはアクセラレータープログラムがあるよ、と。そこでOnlabではピッチに出る機会をいただいたり資金調達をサポートしてくださったりすると知り、ロサンゼルスからオンラインで参加しました。
その頃は売上が月数百万円あり、サブスクリプションボックスとオンラインストアを合わせてユーザーも月間で数百名ほどいました。私は市場にポテンシャルがあるはずだろうと何となく頭の中で構想を立てていましたが、その理由を言語化して書き出すようにOnlabのプログラム中にアドバイスをいただきました。今でも、Tippsyのマーケティングチームとミーティングする時「うちのストラテジーはこうで、ペルソナはこうで」と書きながら話し合っていますね。
― メンターからはどのようなアドバイスやサポートを受けましたか?
メンターの方々には1〜2週間に一度の頻度で事業の進捗を報告したり、ユーザーのカスタマージャーニーを書いたり、ピッチの練習をチェックしていただいたりしました。また、メンターの佐藤さんから、顧客一人ひとりを起点にしたマーケティング思考法が書かれた『たった一人の分析から事業は成長する 実践 顧客起点マーケティング(西口一希氏著)』という書籍を薦めてもらいましたね。
当時、Tippsyは順調にビジネスを走らせていましたが、社員3名でオペレーションをギリギリで回していたので、ユーザーの具体的なペルソナやニーズをきちんと聞き取っていませんでした。ユーザーに毎月サブスクリプションボックスを送るので、毎回3本の日本酒を選ばなければいけないし、プロダクトカードも校正・校閲もしなければいけない。立ち上げ時期のオペレーション業務に忙殺されて、ユーザーが注文する理由や目的、どのような課題解決に役立っているのか把握していなかったんです。そこで、私は解約率などのデータから漠然とアイデアを出そうとしましたが、佐藤さんから「今のフェーズではデータにボリュームがないので、ユーザーから意見や感想を聞いた方がスケールしますよ」とアドバイスをいただき、電話で50名のサブスクリプションボックスのユーザーへインタビューしました。
― 実際どのようなユーザーがいらっしゃったんですか?
蓋を開けてみると白人のおじいさんやワイン好きな女性、日本に住んだことのある元軍人、日本のカルチャーが好きな若者など、実にさまざまな方がTippsyを使って日本酒を愛飲してくださっていたんです。それぞれのユースケースやリテンション率、解約理由などインタビューしながらプロダクトの改善を進めていきました。
― ユーザーの顔が見えてきた現在、どのような獲得戦略を立てていらっしゃいますか?
Tippsyでターゲットにしているユーザーの一部に「アドアジャパン」と呼んでいる、日本のカルチャーが好きな方もいます。「今日は黒沢明の映画を観ながらこの酒だ!」と、Tippsyで買った日本酒をSNSに掲載してくれる方や、ワインを勉強する傍ら、ワインの延長として日本酒に興味を持つ方もいます。その中でも、Tippsyが焦点を当てているのはキュリアスミレニアル(Curious Millennials)と呼ばれる好奇心旺盛な若者。この層はアルコールの好みの幅が広いので定番のバドワイザーだけでなく、高価格帯のクラフトサイダーウイスキーやブランドストーリーがあるもの、彼らのライフスタイルや消費スタイルに合うブランドを好みます。
彼らがレストランでおいしい日本酒と出会っても、近所のリカーショップには日本酒を置いていない。それならオンラインで買おうと獺祭などのキーワードをGoogle検索しているうちに、彼らはTippsyのWebサイトにたどり着きます。「レストランでおいしかったあの日本酒は水色のボトルに入っていたけれど、何だったっけ」という方が増えているので、初めてのサブスクリプションボックスには「日本酒とは何か」や、ワインでいうリージョナリティ(地域性)、原料による味の違いを説明したガイドブックを添えるようにしました。彼らがTippsyのサブスクリプションボックスによって日本酒を学び、単品買いができるような知識と好みを持つようになったら、日本酒の市場規模を広げるドライバーになると考えています。
また、サブスクリプションボックスのユーザー数をスケールしていくために、SNSの広告を活用してオンラインの需要を増やして顧客獲得単価(CAC)を下げたことで効果的なマーケティングを実現できましたが、常に新たなチャネルをテストしながら、定量的測定をもとに新規獲得やユーザーエンゲージメントを上げる施策を実行しています。資金調達のためには新規ユーザーの獲得と既存ユーザーのリテンション両方の数字を見せてスケールポテンシャルを説明する必要があるからです。
― ユーザーにTippsyのサービスを継続的に使っていただくための施策はありますか?
ユーザーリサーチの後メンバーシップモデルに移行し、現在は3ヶ月に1回、計6本のミニボトルをプロダクトカードと一緒に送っています。その他にも、ニュースペーパーのような紙媒体に、日本酒に関わる有識者のインタビューを連載しています。第1回目のゲストは、獺祭の蔵元である旭酒造の社長、桜井さん。その効果もあったのか、アメリカで獺祭のオンラインイベントが開催された時「Beyond(磨き その先へ)」という最も高額な日本酒を50名近くものお客様が買ってくれたし、桜井さんとオンラインで乾杯しようと多くの方がイベントに参加してくださいました。
また、サブスクリプションボックスに入れた日本酒のテイスティング動画を作ったり、日本の蔵元のインタビュー動画を作ったりしています。お薦めのペアリングや最適な飲み方、日本酒の銘柄といったユーザーの疑問に対して、担当者の方が緊張しながらも丁寧に日本語で説明してくださった内容をTippsyで英訳して披露するなど、体験型のプロダクトを心がけています。
最近では、ユーザー同士の交流が自然に発生していますね。SNSで立ち上がったTippsyのグループには約1400名のユーザーが参加していて、ある時「日本酒では熱燗か冷酒のどっちが好き?」というディスカッションで盛り上がっていました。「私は熱燗の方が好き。温泉に入って飲むのがいいんだよ」など、何百ものコメントが交わされるほど。そんな熱意あるユーザーたちの提案をもとに「Team Warm(熱燗派)」「Team Cold(冷酒派)」と書かれたTippsyのオリジナルトートバックなども誕生しました。
― 日本酒をアメリカで認知・浸透させるために、どのような工夫をしていらっしゃいますか?
SNSやブログ、動画を介して日本酒への興味を持ってもらい、ゆくゆくはTippsyで買い物をしてくれるユーザーになってもらうためのマーケティングを考えています。具体的には、ユーザーに「日本酒のポテンシャルってもっとあるんじゃないか?」と実感してもらえるように、多くのフーディーやワインドリンカーとインフルエンサー契約を結び、UGC(User Generated Contents)を作成してもらって、彼らのフォロワーに向けてSNSで発信してもらっています。UGCには「キュリアスミレニアルがオイスターとペアリングして日本酒を飲んでいる」といった、自分に似ている人が見慣れない日本酒を自然に消費しているイメージを持ってもらう。そうすると、日本酒に興味を持ってTippsyのWebサイトにアクセスする訪問者が増えるので、彼らをマーケティングファネルに落としていくんです。
― 中長期視点で今後はどのようなことに挑戦したいですか?
投資家へ話すたびに頭を抱えるのは「日本酒はニッチで終わるのではないか」「日本酒は市場が小さいからVCのお金はいらないよね」「eコマースのビジネスモデルには投資しないよ」と一蹴されること。アメリカのシリコンバレーでは100倍、1000倍に成長する見込みのある市場で戦うスタートアップに投資する傾向があり、資金調達にこぎ着けるのは至難の業。昨年、Tippsyは約6倍の売上成長を達成しましたが、それでも、投資家に会社のポテンシャルを理解してもらうことは簡単ではありません。Tippsyがマーケットを引っ張り、数字を作り続けることで市場を生み出していくつもりなので、そのためには先行投資が必要です。昨年から発生している新型コロナウイルスによってロックダウンとなり、外出禁止令によるオンライン需要が拡大した背景から競合も出現してきました。長期的なDefensibility(競合差別化)のためにコンテンツとブランドを強固なものにしていき、スケールできるところへアクセルを踏むためには、資金調達は避けて通れないんです。
現在、アメリカには日本酒のアイデンティティが存在しておらず、ワインのカテゴリーの傘下にある「ライスワイン」でしかない。さらに、赤ワインだったらこういうシーンにこういう人が飲んでいる、ウイスキーだったらこういう人が飲んでいるというイメージがあるのに、日本酒は寿司屋においてある「あの強い飲み物」という連想で片付けられてしまう。コンシューマレポートだけでは見えていない圧倒的な成長を見せることで市場ポテンシャルを証明し、Tippsyが日本酒の第一ブランド想起になるようなカテゴリーを作っていきます。
また、世界一の顧客数と蔵元リレーションシップを築いた上でサプライチェーンの無駄を省きながら、まだ海外進出できていない日本の蔵の商品をインポートしたりTippsy独自のブランドを立ち上げたりしたいと考えています。
― 現在、Tippsyにはどのような社員がいらっしゃいますか?
フルタイムの社員が10名程度います。パートタイムやコントラクター、ブロガー、コンテンツクリエイターを含めると計20名が事業に携わってくれていますね。先日もニュージャージー州に住む若い白人女性をコンテンツライターとして採用しましたが、彼女はTippsyのWebサイトから問い合わせしてくれたんです。EC企業でSEOコンテンツマーケティングを担当してきた彼女は、日本酒や日本カルチャーが好きでブログも書ける、と。通常、アメリカで日本酒の仕事に就きたいと思ったら日本食のレストランか日系貿易商社しか勤務先はないのですが、Tippsyが日本酒のリーディングカンパニーというポジションになったためこういった応募をいただくようになりました。
現在のところ社員は日本人が多いですね。日本カルチャーの魅力をアメリカで正しく広めたいと熱意を持つ日本人が多く、各々のスキルや能力に適したポジションを担ってもらっています。一番大事なコンテンツ制作はウェブを含めすべてインハウスで行っていて、チームサイズとしてはクリエイティブチームが一番大きいです。専門性の高いパフォーマンスマーケティングやサイト開発はアメリカやイギリスのパートナー企業と頻繁にミーティングをしてプロジェクトを進めています。今後Tippsyとともに成長したい人やカルチャーに合う人日米問わず採用していきたいと思います。
― これからOnlabをご検討になる起業家の方へメッセージをお願いします。
事業を立ち上げる前はプロトタイプを作ったりカスタマーリサーチをしたり忙しいですが、アクセラレータープログラムではピッチを磨き込むことが最も大事だと教えられます。私は結果的にエンジェルラウンドの資金調達で約1200万円集めましたが、その時だけでも約50名の投資家の方々へピッチしました。USCでスタートアップに関する授業を受けてきたのでピッチの構成は把握していたつもりだったのに、Onlabではメンターの方々からあれこれとダメ出しを受けましたね(笑)。投資家へのピッチは通常一日3件が限界ですが、Onlabでは一度に10名以上のメンターに見ていただけて、全員からピッチの内容やビジネスモデルの不明点や疑問などご指摘をいただくことで早いサイクルでピッチを磨いていくことができます。おかげさまで、漫画ドラゴンボールに出てくる「精神と時の部屋」に入ったかのように事業の成長スピードが増しました。Onlab最終日のDemoDayでもさまざまな投資家と出会うことができたし、現在も同期の集うコミュニティでお互いのマイルストーンをチェックしながら切磋琢磨できるので、自信を持ってすばらしいプログラムだとお伝えしたいですね。